2016年7月31日日曜日

『武蔵野夫人』ノート/大岡昇平 日本文学全集 18

大岡昇平が『武蔵野夫人』を書く上で、登場人物、テーマ、物語の展開、構成を考えるうえで、書きつけた10ページに満たない文章なのだが、読み進めると、この物語の輪郭がくっきりと浮かび上がる点で興味深い。

例えば、登場人物について。

富子を、女主人公Ⅱ と位置づけ、重視している点は意外である。

「三人の男の犠牲者としてのコケット。男を信じることが出来ない女は、自分を信じることが出来ない」とも書いていて、富子の心の闇が暗示されている。

道子については、以下のとおり。

「女主人公は夫を愛し得ず、それを自ら責めていなければならない。不感症の自覚。」

「彼女はいつも自殺を考えていなければならぬ。あるいは失敗の経験者。」

「女主人公の名、道子は封建的な因習を象徴する。」

そして、この二人を、「夫を愛し得ぬ女達。」 と書いている。

勉については、

「主人公は馬鹿の色男」

「主人公は無為でなければならぬ。」

「「家」がついていてはならぬ。 」

「主人公の破壊力は戦争の経験からあらゆる社会的紐帯への不信。」

「本気で嘘が吐けること、これを勉の性格とする。」 と輪郭を明確にし、

「彼は女達の「家」を破壊する。」 と予言しつつも、

「主人公の破壊力は「家」を破壊しなかった。女主人公を破壊しただけだった。」

と、この物語の主テーマを探り当てている。

このノートは、最後に、道子と勉の「誓い」 についても、コメントされていて、

「誓いの敗北―あまりに手軽に屈従された運命には、人生の方で満足しない。」

という大岡の現実的な容赦のない裁断が述べられており、物語は、そのとおり、二人に悲劇が訪れるのだが、作家というのは、やはり、善人では務まらない稼業なのかもしれない。

2016年7月14日木曜日

参院選挙直後の天皇の生前退位のご意向

天皇の生前退位のご意向は、安倍政権が企んでいる憲法改正を阻もうとするものではないか、という驚くべき説が、ネットで流れている。

NYタイムズも、ストレートな言い方ではないが、やんわりと、その事を示している。
http://www.nytimes.com/2016/07/14/world/asia/emperor-akihito-abdicate.html?_r=0 

文末から、2パラ目の以下の部分。
“counterpoint”が微妙な意味の単語だ。(対照、対比の意味か)
Although the emperor has no official political authority, Prince Naruhito could offer a counterpoint to Mr. Abe’s goals. He has repeatedly commended the pacifist Constitution written by the American occupiers in 1947. On the eve of his 55th birthday, in 2015, Prince Naruhito praised the Constitution and said he wanted to “engrave in the mind the preciousness of the peace.”
しかし、天皇のこれまでの戦地慰霊のご訪問、また、全国戦没者追悼式でのお言葉と、集団的自衛権の行使を可能にする安保法案を強引に可決した安倍政権の言動とを比較すると、実に“対照”的であったように思う。

また、この話が漏れたタイミングが、なぜ自公が圧勝した参院選挙の直後だったのかということを憶測すると、この説が決してない、とは言いきれないように思う。

これに関連して、最もありそうだなと思うのは、憲法改正が成立した場合、憲法第7条1号に基づき、天皇の国事行為として、憲法改正を天皇の名の下に公布しなければならないということだ。

ご自身がこれまで築きあげてきた平和主義をぶち壊す自民党の憲法改正案を、ご自身の名前で公布したくはなかったのではないだろうか。

天皇のお歳や体力的なものを考えると、順番的には、皇室典範改正、憲法改正だろう。そして皇室典範の改正には2年はかかるのではないかという見通しもある。

天皇ご自身のお言葉があったとしても、決して、上記のような意思は示されないと思うが、今後の展開に注目したい。

2016年7月10日日曜日

雨のなかを走る男たち/須賀敦子 日本文学全集 25

須賀敦子のエッセイの中には、ある種の場面や物事がとても印象的に描かれているせいで、そういった場面や物事にこれから出会うときには、必ず、彼女の文章が頭に思い浮かぶのではないかと思わせるものがある。

日本文学全集では、彼女と交友関係があった池澤夏樹が編集しただけあって、そういった粒ぞろいのエッセイが収められている。

病床の父からの依頼で、入手することとなったオリエント・エクスプレスの食堂車で使用されているコーヒーカップをめぐる車掌長とのやりとり。

空港までのリムジン・バスで見つけた美しい手の動きで会話する姉兄弟と彼らの母親の一風景。

イタリアのL夫人との歓談で、親しい友人のように話が盛り上がったさなか、彼女の娘が外国人と結婚するという話を巡り、その娘と自分の過去を重ねてしまい、突然意見が対立してしまったエピソード。

それらは、どれも須賀敦子らしい自我の強さとセンスの良さが伝わってくる文章だ。

「雨のなかを走る男たち」も、何気ないイタリアの男たちの習慣を描いているだけなのだが、不思議と心に残る。

作者は、ギリシアの映画監督テオ・アンゲロプロスの作品「シテール島への船出」 の中で、男が傘もささず、雨のなかを外に飛び出すシーンをみて、夫のペッピーノも雨のなかを、そうやってかいくぐっていったことを思い出す。
…男たちはあの格好をして走る。両手で背広のえりの下を握るかたちになるのだが、そのとき左右の親指を垂直に立てるから 、日本で、めっといって子供を叱るときみたいな格好にしたこぶしがふたつ、胸のまえにならぶ。イタリアで暮らしていたころも、それを見るたびに、私はふしぎな格好だと思った。
そして、夫の知人の家族で問題児扱いされているトーニという青年の話になる。

知能が足りず、定職につくこともできず、家にもよりつかず、家族に心配をかけているどうしようもない青年。
しかし、作者はなぜか彼に興味を抱く。そして、カーネーション売りをしているトーニに、夫を説得して会いに行く。

…雨が激しくなった。ペッピーノが自分の傘をトーニにさしかけると、彼は、いいよ、いいよ、というふうに頭をふって、手にもったカーネーションの束を台のうえに投げ出し、こちらがあっと思う間もなく、いちもくさんに近くの建物をめがけて走り出した。さよならともいわずに、両手で背広の衿もとをしっかりにぎって。夫といっしょに街を歩いたのも、トーニを見かけたのも、あれが最後だった。
通り過ぎてゆくかけがえのない人生の一瞬を、雨のなかを走り抜けていく男たちのすがたに重ねてしまった作者の思いが、とてもせつない。


2016年7月3日日曜日

おくのほそ道 百句 連句/松尾芭蕉 松浦寿輝 訳/日本文学全集 12

元禄二年(1689年)、松尾芭蕉は、四十六歳で「おくのほそ道」の旅に出ている。
彼が亡くなるのはその五年後。作中、持病を抱えていたことも記されているが(十七、捨身無常)、自分の死期をそう遠くはないと感じていたのかもしれない。

(今、四十六といっても人生半ばという感じだが、この時代は晩年だったのでしょうね)

そう思いながら、冒頭の「月日は百代の過客にして…」を読むと、彼が物狂おしいまでに漂泊の思いに駆られた心情はどこかうなずけるものがある。

江戸を立ち、日光を通り、白河の関を越え、松島にたどり着くまでに詠んだ句よりも、平泉から最上川あたりまでの句のほうが、知っている句が多いせいもあるが、心に響いていくるものがある。

死の緊張のせいかもしれないが、全体的に真面目な雰囲気が漂っている。
唯一、「三九、市振」で、遊女と偶然同じ宿に泊まるというエピソードがあるが、彼女たちへの振る舞いも、ひどく素っ気ないものが感じられる。

芭蕉の句を味わうという点では、松浦寿輝 選の「百句」は読んでいて面白いものがあった。年代ごとに並べられた芭蕉の代表作を読むことにより、無理なく、芭蕉の俳人としての成長の過程が感じられる。

句のそばに付けてある松浦寿輝の解釈も、極めて現代的なものになっていて、読んでいて飽きなかった。
おそらくは芭蕉ですら明確に思っていなかったであろう大胆な解釈を次から次へと読むことで、たった十七文字の詩に、無限の世界を感じることができる。

 それにしても、芭蕉の句というのは、有名なものが多いことが、今さらながらに分かった。

「連句」は、芭蕉が俳諧仲間と共に編んだ歌仙2作品「『狂句こがらしの』の巻」と「『鳶の羽も』の巻」を紹介している。

同じ本に収められている丸谷才一 大岡信の「歌仙早わかり」を先に読んだほうが、分かりやすいかもしれない。

三百年以上前の藝術を、今、違和感なく楽しむことができるというのは、実に素晴らしい。
しかし、 丸谷才一 らが亡くなった後、歌仙を楽しむ日本の文学者は残っているのだろうかが、若干気にかかる。