2012年10月7日日曜日

「妖精たちの夜」 ルーマニアとエリアーデ

前回、取り上げた「妖精たちの夜(II)」には、翻訳者の住谷春也氏が「ミルチャ・エリアーデと妖精たちの間」と題して、四十ページを超える充実した内容のあとがきを書いているのだが、これを読んで、あらためてエリアーデの母国であるルーマニアの成り立ちとその特殊性、そして、両世界大戦を通して非ルーマニア的体制が確立されていく母国の運命にエリアーデの人生が大きく左右されていたことを知った。

…われわれには、それほど歴史を愛するいわれはない。どうして愛したりするものか?われわれにとって、十世紀の間、歴史とは蛮族の侵入のことだった。次の五世紀はオスマントルコの恐怖だった。そして今は、これから何世紀になるか知らないが、歴史とはソヴィエト・ロシアのことになるだろう…

物語中、主人公の親友である哲学教師が秘密警察への供述で述べた言葉どおり、ルーマニアの歴史は、ほとんど常に異民族の侵入と列強の領土争いに巻き込まれていたことが分かる。

ルーマニアの歴史

そして、両世界大戦時には、西欧国家の一員であるという意識のもと、イギリス・フランス・アメリカ民主主義陣営による救済を期待していたが、戦後、結果として見捨てられ、1989年のルーマニア革命(チャウチェスクの処刑が印象的)まで、以後四十年もの間、ソヴィエト・ロシアが強要した社会主義の国家となった。

「妖精たちの夜」は、まさに第二次世界大戦が勃発する暗い影の時期である1936年から、共産党一党独裁の社会主義国家が確立される1948年までの時代背景の物語であり、こういった歴史背景を意識しないと、物語の理解が追いつかないところがある。

ルーマニアは日独伊三国同盟の枢軸にも加盟したので、第二次世界大戦の敗戦国という点では、日本と同じ立場であったが、日本がアメリカのGHQによる占領状態はわずか数年だけだったことや、戦後の民主化で経済発展を遂げ繁栄を迎えたことと比較すると、この国の悲劇に、日本人は鈍感になってしまうところがあるのではないか。

また、「妖精たちの夜」の主人公(経済官僚)が物語の中でたどる遍歴が、エリアーデの実体験がそのまま描かれているという点も興味深い。

なかでも、恐ろしいのは、エリアーデが、レジオナール(ルーマニア民族主義運動)に関係があると疑われ、収容所に入ったことをきっかけに大学の職を失い、路頭に迷ったことでロンドンに派遣されることになるが、もし、その時に国外に出るチャンスがなかったとすると、社会主義国家のもと、収容所に移送され刑務所で獄死していたかもしれないという事実だ。
(エリアーデの僚友たちの多くは、その運命を辿った)
そのような運命になっていれば、私たちはエリアーデの著書の多くを読むことはできなかっただろう。

この物語「妖精たちの夜」には、様々な偶然(主人公と作家が瓜二つ、主人公と運命の女性との出会い等)と、運・不運(作家が主人公に間違われ射殺される、親友の哲学教師が警察に拘束・拷問され死を迎える等)が描かれている。

物語中、歴史、時間、運命という単語がゴシックで強調されている文章がいくつか出てくるが、エリアーデが、あるいはルーマニアの人々が体験した過酷な出来事を思い浮かべると、その言葉に対する思いの重さが、わずかながら推測することができる。

上記のような視点であらためて見直すと、この物語は、単なる恋愛小説に留まらず、歴史小説、政治小説、風俗小説、感情小説、神話小説、宗教小説…という幅広い視点から楽しめる複合的な魅力を持つ小説であることが分かる。

それは、著者にとっても同じ思いであったらしい。
エリアーデは、この物語について、こんな言葉を残している。
「『妖精たちの夜』を読み直したところで告白するのだが、多数のエピソードの隠された意味を私は小説を書き終えたあとで発見した。その意味で、この本は私にとって 《読者にとってもそうであることを希望するけれど》 これは一個の知の道具である。 
一九三六年の<妖精たちの夜>に<森で>始まって、一九四八年にスイス国境近くの、これも一つの森で完結する長い円環の旅は、私に人間実存のいくつかの意味を明かしてくれた。それらは小説を書き終えるまで私が知らなかったものだった。ないしは、ただ近似的にしか知らず、その真の価値を理解していなかったものであった」

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